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D×P×ユキサキライター

難民キャンプの取材から帰るたび「日本は豊かな国」と思っていた私。でも、ヤングケアラーの高校生と話したら……

(取材:長野智子)

物心ついた頃から、父親の行方は知れず。祖父が保証人となっていた知人の事業が失敗し、多額の借金を負ったところに、祖父の介護も始まり、辛い日常に鬱を発症──。

高校3年生のくみさん(仮名)さんが語るエピソードの数々に、私は驚きを隠せませんでした。耳を覆いたくなる実体験の中で、それでも尚、「大学で心理学を勉強できることが楽しみです」と明るく語る姿は印象的で、難民キャンプで聞いた「欲しいのは教育です 」という子どもたちの言葉を思い出しました。まさか、令和の東京に住む少女の取材が難民キャンプにつながるとは……。

近年、くみさんのように、学生でありながら介護など家族のケアを担う「ヤングケアラー」の支援が強く求められています。私が今回触れたのは大きな問題の一端ではありますが、この国に住む一人の高校生の身に確かに起きていたことを、ぜひみなさんにも知っていただきたいと思います。

学校を休んで、大好きな祖父の介護をする日々

くみさんの家庭が経済的に困窮するようになったのは中学2年生ごろのこと。そして、高校2年生の5月から祖父の介護が始まりました。シングルマザーの母は仕事で忙しく、どうしてもくみさんの手が必要です。

「朝起きたらまずおじいちゃんのご飯の介助。認知症なので、食べたこととかも忘れちゃったり……あと、足が悪いのに、自分はまだ歩けると思って勝手に外に出ようとして転んじゃったこともあるので、目が離せないです。夜に寝ても起きてしまって、騒いでしまうので、私が横について、深夜もよく一緒に起きていました。学校も休んだりしながら介護をしていて」

私も、2年前まで92歳の母のワンオペ介護をしていた時の記憶が蘇りました。介護がいかに大変で時間を取られるものか、身に沁みてわかります。不躾を承知で、思わず「なぜそんなに頑張れるの?」と聞いてしまったのですが、くみさんは「おじいちゃんが大好きだから」と答えてくれました。

「小さい時からずっとおじいちゃんがお父さん代わりでそばにいてくれて、大好きなんです。今、一番悲しいのは、介護そのものよりも、いつかおじいちゃんがいなくなっちゃうことです。もっとちゃんと学校に通えて、友達と思い出を作れたらよかったな、とも思うけど、今考えると、これも人生経験として将来何かの役に立つんじゃないかなって」

私は意外にも明るい彼女の笑顔に胸を打たれていました。

ある日、母親が認定NPO法人カタリバでパソコンが借りられるというニュースを見たことをきっかけに、くみさんは十代への支援につながることができ、D×Pの「ユキサキチャット」を紹介されたそう。当時、ご飯もあまり食べられていなかった、と振り返ります。

「スーパーでとにかく半額になっているものを買う感じ。D×Pの食糧支援の中では、パスタソースや、粉末のスープ、カップ麺など、調理に時間がかからないものはうれしかった。学校に持っていくことができるものもありました」

調理の時間がかからないレトルトや保存食系を重宝していたというのも、意外な発見でした。それだけ、毎日が時間との戦いだったのですね。

届けている食糧の一例

「子どもの貧困」は、まるでないものにされている

育ち盛りながら「食べるのもギリギリ」というくみさんの話を聞きながら、私は取材の数日前に読んでいた朝日新聞の記事を思い出していました。芳野友子連合会長と岸田文雄首相の会談の様子を伝える中にこんな一文があったのです。

(中略)芳野氏が「夏休みや冬休みは給食がなく、体重が減る子もいる」と話すと、首相はソファから身を乗り出し「え、そんな子どもたちがいるんですか」

思わずガックリきてしまいました。この世代は、いまだに「一億総中流」という意識が根強く残っていて、ここ数十年で劇的に進行してしまった格差の実態が見えていないのでしょう。

でも一方で、「え、そんな子どもたちがいるんですか」という感覚がわからなくもない自分いるのです。私がテレビ局に入社したのは1985年で、日本経済が右肩上がりの成長を見せていた時代。「日本は世界ナンバー2の豊かで恵まれた国」という印象が強く残っているのです。

実際、キャスターとして途上国を取材すると、今でも日本の豊かさは際立って見えますし、さらに2019年からUNHCRの報道ディレクターとしてバングラデシュ、アフガニスタンなど世界各地の難民キャンプを回るようになると、「日本は天国だ」と思うほどでした。

だから、この国の中における「相対的貧困」について、頭ではわかっていても、感覚として掴みきれていない、というのが本当のところだったのです。

私の世代以上の人々がなかなか実感しづらい「子どもの貧困」とはなんなのか。この社会課題に対して何ができるのか。 くみさんの取材で、私は解像度を高めていくことになりました。

子どもたちの頑張りと家族への思いに甘えていいのか

食糧支援に加えて、くみさんがD×Pの支援で最もありがたいと感じたのは、「ユキサキチャット」のやりとりだったそう。

ユキサキチャットでのやり取り(イメージ画像)

「これまで、友だちに介護の話なんてしてもわからないだろうと思ったから、相談できなくて。ユキサキチャットでは、すごく親身になって聞いてくださったんです。返信がちゃんと返ってきたのが、とにかく嬉しかった。定期的に『元気ですか』みたいなメッセージも送ってくださるんですよ。精神的に結構辛い時期はしんどくて、全然返信できてなかったんですけど、連絡をもらえるだけで『頑張ろう』と思えました」

くみさんは、介護の忙しさに耐えかねて鬱病も経験しています。

「体が動かなくて、涙も止まらない。学校にも行けませんでした。色々病院に電話したのですが、十八歳未満はダメって断られてしまって。それで学校の保健室の先生が紹介してくれた心療内科に行ったら、5分くらい話しただけで『薬出しておくね』という感じでした。全然親身に話を聞いてくれなかったんです」

私はその話にショックを受けましたが、くみさんはその時の経験から「思春期の子どもたちの心を癒す仕事に携われないか」と心理学を学ぶモチベーションを得たと言います。夜の11時頃まで祖父の介護をし、そこから深夜にかけて勉強して大学進学への切符を掴みました。

こうしたくみさんの強さには敬服するばかりです。しかし、本人の頑張りや家族への純粋な愛情に甘えて、高校生が介護で鬱になるほど疲弊してしまう現状を放置していいはずがない、という憤りも湧いてくるのです。

D×Pとの出会いがなかったら彼女はどうなっていたか。くみさんを長く見てきた代表の今井紀明さんは、「(助けになったのは)うちだけじゃないですよ」と謙遜します。「一社だけではケアしきることは難しいし、むしろ複数の団体が同時に子どもたちを支えるというのが望ましい姿だと考えています」

さらに今井さんは、これは氷山の一角です、と教えてくれました。高校の学費を払うためにアルバイトをしても、親がそのお金を取り上げてしまうケースもあるといいます。親にまでチャンスを奪われ続ける若者を思うと……ただ、言葉を失うばかりです。

再確認した「教育は最後の砦」

取材を終えた私は、冒頭で紹介したくみさんの言葉を何度も反芻しました。大学進学が彼女の人生に与えるポジティブな影響は計り知れません。やはり、教育こそ希望であり、最後の砦であり、国がもっとも力を入れるべき課題だと再認識したのです。

2021年、朝日地球会議でマイケル・サンデル氏と鼎談した時に、彼が大学までの無償化がいかに大事かを説いていたことも思い起こされます。貧困家庭に生まれた子どもが、貧困のスパイラルを断ち切ることができる唯一の手段が教育なのだと。

大学の定員割れが話題になり、どんな子どもでも高等教育を受けられるようになったと思っていた今の日本で、まさかこのようなことを再確認するとは……。

今、日本の子どもの7人に一人が貧困状態にあると言います。国は、少子化対策にずっと手をこまねいてきましたが、まずは保育園から大学まで無償化し、くみさんのような若者が教育に確実にアクセスできる状況をつくることが急務ではないでしょうか。

大学に進学しても、くみさんの介護は続きます。くみさんは、D×Pの「新生活応援パック」で入学準備金やパソコンの支給も受けることができ、食糧支援の継続も決まっています。心配は尽きないけれど、彼女の大学生活が、どうか希望にあふれたものでありますように。心からそう願っています。


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書いた人: 長野智子
キャスター、ジャーナリスト、国連UNHCR協会報道ディレクター

1985年株式会社フジテレビジョンアナウンス部に入社。1995年の秋より、夫のアメリカ赴任に伴い渡米。ニューヨーク大学・大学院において「メディア環境学」を専攻し、人間あるいは歴史に対して及ぼすメディアの影響について研究した。1999年5月修士課程を修了。2000年4月より「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターとなる。「朝まで生テレビ!」「ザ・スクープスペシャル」「報道ステーション」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は自らも国内外の現場へ取材に出る傍ら、国連UNHCR協会報道ディレクターも務める。

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