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知らない世界を知ることから、支援は始まる|ビフテキのカワムラ 代表取締役 川村ちかこさん

認定NPO法人D×P(ディーピー)は、多くの支援者の皆様からの寄付によって活動しているNPO法人です。

今回は、以前よりご支援いただいている株式会社かわむら ビフテキのカワムラ 代表取締役の川村ちかこさん(以下、川村さん)と、認定NPO法人D×P理事長の今井紀明の対談をお届けします。

1972年創業のビフテキのカワムラ。厳選された神戸牛を最高の技術で提供し続けてきた名店です。創業家の一員として経営を担う川村さんは、ご自身の幼少期や子育ての体験から、D×Pの活動に深く共感し、クラウドファンディングでも力強い応援を寄せてくださいました。

本記事では、NPOを支援する想いにとどまらず、川村さん自身の子育ての歩みやご家庭での体験についてもお話いただきました。 

今回の記事も、株式会社ストーリーテラーズさんにご協力いただきました。

店の屋根裏で育った幼少期と、やんちゃな仲間との青春

今井:川村さんとの最初の出会いは、経営者の会でしたよね。ご紹介を通じて知り合って、その後に僕の話も聞いていただいて。飲食店経営者の方でご支援くださるのは珍しいので、今日はそのあたり──なぜ応援してくださるのかをお聞きできればと思います。

川村:最初にお会いしたときはあまり話せなかったのですが、その後に今井さんの講演を聞いて、「非常に意義のある事業だ」と感じました。 子どもの頃から、私自身も多くの方々の支えに助けられて生きてきたという実感があります。そのことを、改めて思い出すことができました。だからこそ、自然と「D×Pさんを応援したい」という気持ちが湧いてきたのだと思います。

今井:ありがとうございます。川村さんは、どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか?

川村:両親が1972年に「ビフテキのカワムラ」を創業し、私たちはお店の一角にある小さな部屋で暮らしていました。5歳の頃には、お店の上のマンションに移り、屋根裏のような部屋が生活の場になりました。両親は朝から晩まで働き詰めで、私と弟はほとんど“放任状態”。食べることに困ることはありませんでしたが、常に大人の目がない生活でした。

弟が走り回ると下のお客様に音が響くので「静かにしなさい!」と叱られ、姉の私が怒られることも多かったです。理不尽だと思いながらも、放任で自由な分、楽しい時間も多かったですね。

その後、小学3年生のときにまた別のマンションへ移りましたが、4年生になると祖父母と同居することになり、生活は一変。自由が制限され、家に居場所を見いだせなくなりました。そこから、友達や外の世界に居場所を探すようになり、やんちゃするようになっていった感じですね(笑)

今井:すごく特殊な環境ですね。その後の中学・高校時代は、どのように過ごされたのでしょうか?

川村:中学ではバスケットに打ち込んでいました。高校は、いわゆる進学校に進学したのですが、そこで環境が一変。

同じ中学から進学したのは私を含め二人だけで、ほとんど友達がいなかったので、孤立感が強く、学校に居場所を見つけられませんでした。

そんな私を支えてくれたのが、地元の「やんちゃな仲間たち」です。学校が終わればすぐに帰って彼らと過ごし、母子家庭で一人暮らしの友達の家に入り浸ることも多かったですね。

あの頃の暮らしは、まるで漫画『ホットロード』の世界そのもの。でも私たちの中では、一本の線引きがありました。

それは「人に迷惑をかけることはしない」ということ。

やんちゃではありましたが、人に迷惑をかける一線は越えないように、仲間同士で守り合う感覚がありました。学校では孤立し、家でも居心地が悪い。だからこそ「仲間と一緒にいる時間」が何より大切で、そこが私にとっての居場所だったんです。

今井:そうした人とのつながりがあったのは大きいですね。だからこそ、居場所や仲間がいることは孤立を防ぐ力になるんだと思います。

18歳で結婚、そして子育ての試行錯誤

今井:川村さんは18歳でご結婚されたんですよね。

川村:はい、18歳で結婚して息子を2人、娘を1人出産し、専業主婦になりました。専業主婦になったきっかけは幼い頃から抱いていた「家に親がいる生活」への憧れです。私の両親は朝から晩まで働いていて、家に大人がいないのが当たり前でした。

一方、友達の家に行くと、お母さんが家にいて、お菓子やジュースを出してくれる。それが本当にうらやましかった。だからこそ、自分の子どもには「いつも母親がいる家」を作ってあげたいと思ったんです。

専業主婦として「子どもの居心地の良い家」をめざしてきましたが、理想は長くは続かず、11年で離婚。シングルマザーとして働かざるを得なくなり、結果的に私の子どもたちも“野放し”に近い状態になってしまいました。

皮肉なことに、居心地の良い家を整えたはずなのに、子どもたちが学校に行かなくなってしまいました。長男はサッカー一筋で中学までは必死に取り組んでいましたが、大会を終えると燃え尽きたように不登校に。次男はさらにサッカーに熱中していた分、反動が大きく、夜は友達と遊んでも学校には行かない。

典型的な「不登校」の状態でした。

今井:家が快適すぎて学校に行かなくなる…そんなケースもあるんですね。

川村:本当に子育ては難しいですよね(笑)でも彼らは家に閉じこもっていたわけではなく、友達とは元気に遊んでいました。それを見て 「学校に行かなくても、人と関わっているならいっか」と思うようになりました。

もちろん、母親としては不安だらけでしたが、子育てにおいて完璧をめざさず、子どもに対する期待や基準もどんどん下がっていきましたね。

漫画やゲームについても、一切否定しませんでした。何より私自身が大好きだったので、子どもにも「好きなだけ漫画を読めばいいし、ゲームをやっていいよ」と伝えていました。

当時は、「とりあえず、元気に生きていてくれたらそれでいい」という感覚になっていましたね(笑)

今井:否定しないで、子どもと同じ目線に立つ。すごくいいですね。

川村:そう言ってもらえると救われます(笑)

でも子どもたちが高校に進んでも、子育てはそう簡単にはいきませんでした。毎朝、私が車で送っていたはずの長男が「出席日数が足りない」と言われて呼び出され…。話を聞いてみると、正門を通った直後に引き返し、毎日電車で家に帰っていたんです(笑)

これにはさすがに驚きました。

次男も同じように不登校でしたが、友達と関わりながら成長していってくれました。振り返れば「理想の家庭を作ろう」と必死になった時期も、「生きているだけでいい」と割り切った時期も含めて、全てが今につながっている気がします。

長男なんて遊びまわっていたのに、今では真面目に青年会議所の副理事を務めているんですから(笑)

ほんとに人生って面白い。

でも結局、私も子どもたちも、周りに人がいてくれたからこそ、なんとかここまで来られたんだと思います。人とのつながりに支えられて生きてきた──それは本当に紙一重の奇跡のようなことだと、今振り返って感じています。

「ヤンキーはいなくなった」と思っていた私が見た、もう一つの現実

今井:川村さんが「D×Pを支援したい」と思われたのは、ご自身の経験からなんですね。

川村:そうですね。自分の原体験を思い返したことも大きいです。

経営者の会に参加するようになってから、目の前に、今まで知らなかった「もう一つの世界」が広がりました。そこにいる経営者の皆さんやそのお子さんは、多くが私立に通い、受験を経て大学へと進学していく。お受験や留学といった選択肢が自然に語られるその環境は、私が育ってきた世界とはまるで違っていました。

ですから正直なところ、私は「日本から、ヤンキーは消えたんだ」と思い込んでいたんです。周囲を見ても、やんちゃな子たちはいないように見えて、子どもたちは皆まじめに勉強し、エリートコースを歩んでいるように思えました。

そんなときにD×Pの活動を知りました。

そこには、かつて私が過ごした環境と重なるような若者たちが、今も確かに存在していた。しかも、今は時代が変わり、かつては外に向かっていた行動が、今は自傷やオーバードーズといった形で内に向かっていると聞き、衝撃を受けました。私の目にはもう見えなくなっていた現実が、確かにそこにあったんです。

経営者の集まりで触れる「整った家庭環境」と、地元やD×Pを通して知る「厳しい環境で育つ子どもたち」。この二つの世界を行き来する中で、「自分がどれだけ限られた視野で物事を見ていたか」ということに気づきました。

今井さんの活動を知って「まだまだ支援を必要としている子たちがいる」と改めて感じさせられました。

今井:私たちが出会う子ども、若者たちも、本当にさまざまな背景を抱えていますもんね。本人たちの責任ではなく、環境がそうさせている。誰にも頼れない『孤立』によって、そうせざるを得なくなっていることが大半なんです。

川村:実際にグリ下で出会う子たちの中にも「本当は勉強したかったのに、経済的や家庭環境のせいで難しかった」という子もいるんですよね。やはり子どもにとって一番大事なのは「環境」だと思います。環境が変われば、子どもに新しいチャンスを与えることができるから。

今井:本当にその通りですね。サポートをした子が、のちに会社を立ち上げたり、NPOの代表になったり、法人として寄付をする例も出てきています。

川村:素晴らしいですね。そのためにも大切なのは、まずはこの状況を「知ってもらうこと」からだと思います。経営者の中には「複雑な事情を抱えた子どもたちとは関わりづらい」と感じる方も多いかもしれません。でも、もっと実情を知ってほしいし、偉そうに聞こえるかもしれませんが、「気にかける気持ち」だけでも持っていただけたらと思うんです。だからこそ、今井さんのお手伝いを何らかの形でできたらと考えています。

今井:ありがとうございます。川村さんのように、自分の経験を踏まえて共感してくださる方がいることは、私たちにとって本当に励みになります。

川村:私はシングルマザーとしての苦労も知っているので、その気持ちにも寄り添いたいと思います。ひとりでずっと背負い続けるのは、本当に厳しいことですから。

知らない世界を知ることから、支援は始まる

今井:ここまでお話を伺ってきましたが、最後に川村さんから伝えておきたいことはありますか?

川村:私も含めてですが、「まずは知ること」、そし「自分の知らない世界がある」ということに目を向けることが大切だと思います。たとえば夜に集まっている子どもたちを見て、「悪いことをしていそう」とか「夜に外に出ていること自体がよくない」と決めつけてしまう方も少なくありません。

でも、その子たちがなぜ夜にそこへ行かざるを得ないのか──その背景にある事情を、ぜひ知っていかなければなりませんよね。

同じように、ネグレクトの現状についても、愛情をしっかり受けて育ってきた方にとっては想像しにくいかもしれません。でも現実として、親から十分なケアを受けられずに育っている子がたくさんいる。そうした子どもたちの存在を知ることから、支援の一歩は始まると思います。

これからも私自身、できる限り力になれたらと思っています。

今井:ありがとうございます。川村さんのおっしゃる通りで、まずは「自分の知らない世界がある」ということを知ることからすべてが始まると思います。経営者の方々のように社会の仕組みを動かす立場にいる人たちが、その一歩を踏み出してくださることで、子ども、若者たちの未来は大きく変わる。

だからこそ、今日のお話には大きな意味があると感じました。私自身も、こうした実情をもっと多くの方に知っていただけるよう、これから一層力を入れていきたいと思います。


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